夏ということもあって、続けてブラジルものを採り上げてきた。
で、ブラジルと言えばこの人、という人はまだまだいる。
アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルトは絶対に外せないし、ブラジリアン・フュージョンのアジムスも有名だ。
で、この人も絶対に外せない、ということで、今回の「レコード評議会」はこれにしよう。
Ivan Lins
Somos Todos Iguais Nesta Noite
ブラジル盤(1977年)
EMI
XEMCB 7023
SideA:SBRXLD-13017
SideB:SBRXLD-13018
SideA
1. Quadras De Rodas
O Passarinho Cantou
Marinheiro
Meu Amor Não Sabia
Água Rolou No.1
Água Rolou No.2
2. Um Fado
3. Dinorah, Dinorah
4. Aparecida
5. Velho Sermão
6. Choro Das Águas
SideB
1. Somos Todos Iguais Nesta Noite (É O Circo De Novo)
2. Mãos De Afeto
3. Dona Palmeira
4. Ituverava
5. Qualquer Dia
イヴァン・リンスの「Somos Todos Iguais Nesta Noite:今宵楽しく」。
彼の経歴を簡単に記すと…
1945年、ブラジルはリオ・デ・ジャネイロに生まれる(一部ではサンパウロ州イトゥベラバ生まれとの情報もある)。
父の関係で幼い頃、ボストンで数年間過ごす。
リオ・デ・ジャネイロ連邦大学で産業化学工学の学位を取得。
バレーボールの道へ進むことも考えていたが、音楽の才能が見出され、1971年にアルバム「Agora」でデビュー。以降1〜2年のペースでアルバムをリリース。
中でも1977〜80年にブラジルEMIからリリースされた「Somos Todos Iguais Nesta Noite:今宵楽しく(1977)」「Nos Dias de Hoje (1978)」「A Noite:ある夜(1979)」「Novo Tempo (1980)」 はEMI4部作と呼ばれ、黄金期として評価が高い。
様々なミュージシャンと共演した1984年の「Juntos」や英語の歌詞を採り入れた1989年の「Love Dance」も人気が高い。
1990年以降もコンスタントにアルバムをリリースしており、現在も現役で活躍している。
また、彼の作る曲はその素晴らしさから様々なミュージシャンに採り上げられている。一例を挙げると…
エリス・レジーナ / 1970年シングル
Madalena
ジョージ・ベンソン / 1980年「Give Me the Night」
Dinorah, Dinorah
Love Dance(原曲:Lembrança)
クインシー・ジョーンズ / 1981年「The Dude:愛のコリーダ」
Velas(原曲:Velas Içadas)
パティ・オースティン / 1981年「Every Home Should Have One」
The Island(原曲:Começar De Novo)
サラ・ヴォーン / 1982年「Crazy and Mixed Up:枯葉」
The Island(原曲:Começar De Novo)
Love Dance(原曲:Lembrança)
ペドロ・アズナール / 1982年「Pedro Aznar」
Setembro
デイヴ・グルーシン&リー・リトナー / 1985年「Harlequin」
Harlequin (Arlequim Desconhecido)
Before It´s Too Late (Antes Que Seja Tarde)
(ボーカル:イヴァン・リンス)
クインシー・ジョーンズ / 1989年「Back on the Block」
Setembro
マンハッタン・トランスファー / 1989年「Brasil」
Metropolis(原曲:Arlequim Desconhecido)
Notes From The Underground(原曲:Antes Que Seja Tarde)
テレンス・ブランチャード / 1996年「The Heart Speaks」(イヴァン・リンス作品集)
Aparecida
Antes Que Seja Tarde、他
(ボーカル:イヴァン・リンス)
ジェイソン・マイルス(プロデューサー) / 2000年「A Love Affair:The Music Of Ivan Lins」(イヴァン・リンス作品集)
Somos Todos Iquais Nesta Noite(ボーカル:イヴァン・リンス)
She Walks This Earth (Soberana Rosa) (スティング)
Love Dance(原曲:Lembrança)(ヴァネッサ・ウィリアムス)
その他、グローヴァー・ワシントン Jr. 、チャカ・カーン、ダイアン・リーヴスなどが参加
「A Love Affair:The Music Of Ivan Lins」についてはこんなエピソードもある。
1991年6月22日、The Power Station(NYのスタジオ)で仕事をしていたジェイソン・マイルスにマイルス・デイヴィスより電話があり、今手に入れたテープを聴きに来いと言う。聴いてみると、それはイヴァン・リンスが歌う曲だった。
マイルス・デイヴィスは言った。「こいつは最低だ(最高だ)。全てこいつの曲のアルバムを作ってやろう」と。
3ヶ月後の9月28日に彼は亡くなりアルバム制作は実現しなかったが、それから9年後にジェイソン・マイルスはこの時のやりとりを現実のものとすべく「A Love Affair:The Music Of Ivan Lins」を制作した。
あの帝王マイルスがイヴァン・リンス作品集を作ろうと思っていたのか…
ということで、様々なミュージシャンに敬愛されているイヴァン・リンス。
彼の作る曲は、まずはメロディが素晴らしい。
起伏のあるメロディラインながら自然な流れで、かつ美しく、単音でメロディをなぞるだけでもその良さが分かる。
稀代のメロディメイカー、天性のメロディメイカーと言われる所以だ。
そしてコードワーク、ヴォイシングにおいては、ジャズのイディオムが多く盛り込まれている。
このためブラジルの力強さや躍動感に、ジャズの持つ多彩で洗練された響きが加わった、独特のものとなっている。
ジャズ・フュージョン界のミュージシャンが彼の曲を採り上げるのは、こういったところにもあるのだろう。
ということで、メロディ、コードワーク、ヴォイシングとどれも素晴らしく、他に似たものの無い、単にMPB(Música Popular Brasileira)とは呼べない唯一無二の音楽、イヴァン・リンスならではの音楽となっている。
そんな彼の黄金期と言われるEMI4部作の1作目が今回採り上げる「Somos Todos Iguais Nesta Noite:今宵楽しく」だ。
黄金期と言われるだけあって、全曲素晴らしい。
特にという曲に絞って書くと…
A1. Quadras De Rodas(輪になって踊ろう)
4分に満たないながら、5つの部分からなるメドレー形式の曲。
サンバ・タッチの曲だが、曲が展開して行くに連れてブラジリアン・フュージョンにも通じる響きがしてくるところがイヴァン・リンスならでは。
A3. Dinorah, Dinorah
変わったリフから始まり、変わったメロディが展開するという、少し変な曲ながら一度聴くと忘れられない魅力を持つ曲。
力強いボーカルで人気があり、ライヴでもよく歌われている。
カバー等
▶︎ジョージ・ベンソンの「Give Me the Night」(1980年)で採り上げられている。
A4. Aparecida
ボサノバの雰囲気のある、マイナーコードの優しく美しい曲。
ストリングスやフルートの入ったアレンジがアントニオ・カルロス・ジョビンの「Wave:波」を思い起こさせる。
カバー等
▶︎テレンス・ブランチャードの「The Heart Speaks」(1996年)で採り上げられている(イヴァン・リンス自身がボーカル)。
B1. Somos Todos Iguais Nesta Noite (É O Circo De Novo)(今宵楽しく)
このアルバムのタイトルナンバー。ライブでもよく歌われている。
哀愁漂うメロディから始まり、次第に力強く、コーラスも入って喜びに満ちた曲調になっていく。
このアルバムの中で最も好きな曲。名曲。
カバー等
▶︎「A Love Affair:The Music Of Ivan Lins」(2000年)で採り上げられている(イヴァン・リンス自身がボーカル)。
B4. Ituverava
シンプルながら、優しく美しいメロディ。
そのメロディが繰り返されるだけの曲なのだが、それゆえにメロディの素晴らしさが際立つ。
隠れ名曲と言っても良いだろう。
イヴァン・リンスは一部ではサンパウロ州イトゥベラバ(Ituverava)生まれとの情報もあるのだが、故郷を歌った曲なのだろうか…
ということで、素晴らしい曲が並んだこのアルバム、名盤と呼んで良いだろう。
そんな名盤も1977年当時、ブラジルとポルトガルでしかリリースされていない。
(後に日本ではCD発売、世界ではデジタル配信されるが、アナログレコードは1977年のブラジル盤とポルトガル盤しか存在しない。)
ポルトガル語(ブラジルの公用語)の歌ということでポルトガルでもリリースされてはいるものの、実質的にブラジル国内向けであり、つまりはワールドワイドでは知られていなかったということだ。
後に様々なミュージシャンから敬愛されることになる訳だが、まだこの頃はイヴァン・リンスもローカルな存在だったということか…
などと思いながら聴いてみると、何だか感慨深いものがあるな、と。
なお、この頃から曲作りのパートナーとして詩人ヴィトル・マルティンス(Vitor Martins)が作詞を担っている。
そのことを書き出すと長くなるので、またの機会に…
(おまけ)
このブラジル盤(1977年)のレコード番号は「SBRXLD-13017 / SBRXLD-13018」となっている。
EMIカントリーコードではブラジルは「31C」なので、レコード番号は「31C-13017 / 31C-13018」なのかと思いきや、そうなっていない。
気になってDiscogsでビートルズのブラジル盤で調べてみると…
1973年「The Beatles – 1962-1966」=「SBTL 1021/2」で「31C」では無い
1977年「The Beatles At The Hollywood Bowl」=「SXMOFB 494」で「31C」では無い
1978年「Rarities」=「31C 066 06867」
1980年「The Beatles Ballads - 20 Original Tracks」=「31C 064 07356」(←B-SELSで買った盤)
ということで、1977年までは「31C」は使われておらず、1978年から「31C」が使われるようになったらしい。
まあ、どうでもいい情報だが…