2回にわたってイヴァン・リンスを採り上げてきた訳だが、ここで止めるわけには行かない。
ということで、今回の「レコード評議会」はこちら。
Ivan Lins
Novo Tempo
ブラジル盤(1980年)
EMI
31C 064 422872D
SideA:422872.D-A 1-1-1-22
SideB:422872.D-B 1-1-3-6
SideA
1. Arlequim Desconhecido
2. Bilhete
3. Sertaneja
3. Barco Fantasma
4. Setembro (1.º Movimento: Antonio E Fernanda) /
Caminho De Ituverava
SideB
1. Novo Tempo
2. Coragem, Mulher
3. Feiticeira
4. Virá
5. Coração Vagabundo
イヴァン・リンスの「Novo Tempo (ノーヴォ・テンポ)」。
黄金期と呼ばれるEMI4部作、最後のアルバム。
EMI4部作の集大成とも言えるアルバムであり、イヴァン・リンスを語る時には絶対に外せないアルバムだ。
ジャケット裏面を見てみると3人の姿が映っている。
中央:イヴァン・リンス。
彼の作る曲・メロディは優しく、美しく、そして力強く、このアルバムでも相変わらず素晴らしい。
右:ヴィトル・マルティンス(Vitor Martins)。
前回記事で書いた通り「今宵楽しく」の頃からのパートナーで、作詞を担っている。
このアルバムがリリースされた1980年は、軍事独裁政権だったブラジルが民主化に向けて動き出しつつあった頃(1979年には政治犯への恩赦が出され、大統領が将来の民政移管を口にするようになった。最終的に1985年に文民政治への移行を果たした)。
彼の手による歌詞にもその頃の空気感が色濃く反映している。
左:ジルソン・ペランゼッタ(Gilson Peranzzetta)。
クインシー・ジョーンズが世界最高のアレンジャーの一人と評した作編曲者・ピアニスト。
前作の「ある夜」にも参加しているが、このアルバムではプロデューサーも務めている。
彼の手による音作りによって曲の素晴らしさが最大限に引き出されている。
全曲素晴らしいのだが、特に好きな曲に絞って書くと…
A1. Arlequim Desconhecido(名もなき道化役者)
曲名は英語に置き換えると"Unknown Harlequin"なので、"未だ無名のハーレクイン(アルルカン、道化役者)"。
歌詞:劇場に登場するハーレクインは誰なのか?という歌。時代背景を踏まえると、民主化に動き出したブラジルのこれからを担う人(政治家)は誰なのか?どんな人が出てくるのか?と期待と不安が入り混じった気持ちで待っている歌なのだろう。
「演じるのは誰?/踊るのは誰?/ハーレクインとして登場するのは誰?」
曲調:一歩一歩踏みしめる様なリズムの力強い曲。バックに流れるアレンジも素晴らしく、後半にソプラノサックスが入ってくる辺りからはフュージョンっぽい響きを感じる。
カバー等:
▶︎デイヴ・グルーシン&リー・リトナーの「Harlequin」(1985年)で "Harlequin (Arlequim Desconhecido)"とのタイトルで採り上げられている(イヴァン・リンス自身がボーカル)。
A4. Setembro (1.º Movimento: Antonio E Fernanda) /
Caminho De Ituverava
(9月 (第1部:アントニオとフェルナンダ) / イトゥベラバの道)
曲調:(a)"Setembro"では美しいメロディが歌詞の無いヴォイスで繰り返される。(b)"Caminho De Ituverava"はジルソン・ペランゼッタの作曲によるインストで、ブラジリアン・フュージョン。(a)→(b)→(a')と展開し、後半の(a')"Setembro"ではビーチボーイズの様なコーラスが聴こえる。
カバー等:
▶︎ペドロ・アズナールの「Pedro Aznar」(1982年)で "Setembro"の部分が採り上げられている。
▶︎クインシー・ジョーンズの「The Dude:愛のコリーダ」(1981年)で "Setembro"の部分が採り上げられている。
B1. Novo Tempo(新しい時代)
歌詞:新しい時代を目指してつらく厳しい状況に立ち向かって行く歌。これは明らかに、軍事独裁政権から民主化へ向かいつつあるブラジルを歌ったもの。
「新しい時代に/処罰されても、危険であっても/私達は行動する、立ち向かう/自らを救うために、生き残るために」
曲調:ピアノから始まり、ベース、ドラム、ブラスと少しずつ音が重なって行き、ボーカル、コーラスも重なって行く。力強く高らかに歌われる感動的な曲。
この歌で当時どれほどの人達が勇気付けられただろう。
そしてこれからも多くの人達が勇気付けられるだろう。
歌い続けられるべき永遠の名曲。
B2. Coragem, Mulher(女の勇気)
歌詞:女性達に対して、勇気を持て、と呼びかける歌。これも当時のブラジルを反映した歌なのだろう。
「繊細な仕草の中にも確固としたものが見える/涙に濡れた視線の中にも揺るぎないものが見える/勇気を持て、女性達よ」
曲調:美しいメロディ。エレピが醸し出すAOR感。中間部のストリングスは映画音楽のよう。名曲。
ということで、素晴らしい曲が並んでいるのだが、前回と前々回で紹介した「今宵楽しく」「ある夜」に比べて、上を向いて力強く前に進む感じの曲が多い気がする。
軍事独裁政権からが民主化に向けて動き出しつつある中、新しい時代(Novo Tempo)への期待・希望といった当時の空気を感じる。
なお、アルバムの最後に収められた曲はカエターノ・ヴェローゾの1967年の名曲"Coração Vagabundo"。
1968年には反政府主義活動のかどで投獄されたり、亡命を余儀なくされたりしたブラジルを代表する歌手カエターノ・ヴェローゾ。その彼の曲をアルバムの最後で歌っているのも時代を象徴している。
「僕の心は疲れない/希望をもつことに/いつの日か君が望むもの全てになれるという希望を」
改めてジャケット裏面を見てみる。
3人が読んでいる新聞「CORREIO DA MANHA/Correio da Manhã」にはこんな見出しが書かれている。
Policía × Operários – 警察 対 労働者
Posseiros e Grileiros – 不法占拠者と土地強奪者
Inflação : 100% – インフレ100%
Desemprego – 失業
で、 「CORREIO DA MANHA/Correio da Manhã」(コレイオ・ダ・マニャン)が気になってChatGPTで調べてみたら、こういう新聞だった。
ブラジルの「Correio da Manhã(コレイオ・ダ・マニャン)」は1901年に創刊された歴史的な新聞で、ブラジルのメディア界で重要な役割を果たしました。
リオデジャネイロで発行されていたこの新聞は、自由主義的な立場を取り、特に政治的な影響力が大きく、政府や権力者に対する批判的な報道で知られていました。
ブラジルの歴史における重要な時期、例えばワシントン・ルイス政権の崩壊やヴァルガス政権の成立など、多くの政治的転換期において、その論調や報道が大きな影響を与えました。
また、1945年の軍事政権への抵抗や検閲に対する戦いにおいても積極的に活動しました。
しかし、1964年からの軍事政権時代の圧力や財政的な問題に直面し、1974年に廃刊されました。
主な特徴
▷自由主義的な立場:政治的自由や民主主義を支持し、権力に対して批判的な報道を行っていた。
▷影響力のある報道:国内の政治的出来事や重要な転換点に対して強い影響力を持ち、世論形成に寄与した。▷廃刊:軍事政権時代の検閲や財政的な問題が原因で1974年に終刊。
この新聞は、ブラジルのメディア史において、権力に対抗する自由な報道機関の象徴として語り継がれています。
そういうジャケットだったのか…
一昔前であれば軍事独裁政権下で強権政治が敷かれている中、検閲に引っ掛かるであろうことは間違いない。
いや、民主化に向かいつつあるとは言えども、現政権に対する痛烈な批判であり、なかなかに痺れるジャケットだ。
当時のブラジルの人達は、このジャケットをどういう想いで見ていたのだろう。
ともあれ、時代を反映した素晴らしいアルバム、名盤と言って良いだろう。
そんな名盤も1980年当時、ブラジルとポルトガルでしかリリースされていない。
(後にブラジルと日本ではCD発売されるが、アナログレコードは1980年のブラジル盤とポルトガル盤しか存在しない。)