レコード評議会

お気に入りのレコードについてのあれこれ

マーラー:交響曲第2番「復活」 / オットー・クレンペラー(指揮)、フィルハーモニア管弦楽団【UK盤】

ロック、ジャズ、クラシックと、コンサートに出掛けたことはそこそこあるが、クラシックで強い印象を残したものがある。

 

1984年4月12日、NHKホールにおけるギルバート・キャプランが指揮するマーラーの交響曲第2番「復活」の公演である。

 

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ギルバート・キャプラン(1941年-2016年)は、当時のチラシにもある様に「復活」だけをレパートリーとする指揮者である。

実業家であったが、ストコフスキーの指揮する「復活」を聴き感動、この曲を指揮したいとの想いからゲオルク・ショルティに師事して指揮法を学ぶ。そして1982年、ニューヨークで自費によるコンサートを開く。最初で最後のつもりで開いたコンサートが絶賛され、世界各地のオーケストラから声が掛かる様になる。ついには「復活」のスペシャリスト、第一人者と評されるに至る。1988年にロンドン交響楽団、2003年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したレコード・CDも発売されている。

 

当時、高校生だったのだが、クラシックが好きな友人に誘われて公演を聴きに行ったと記憶している。

曲そのものを聴いたことが無く(当時CDは無く、80分にも及ぶ大曲をレコード2枚組で聴く機会は無かった)、レパートリーが「復活」だけの指揮者ということで、期待することも無く、半分付き合いで行ったというのが正直なところだった。

 

しかし、これが本当に素晴らしいものだった。

第五楽章で合唱に入る直前、それまでオーケストラの後方で静かに座っていた合唱団が一斉に立ち上がって歌い出した時の衝撃は今でも強く印象に残っている。

演奏が終わると、涙が流れているのに気が付いた。

 

歌詞の内容が分かる訳でも無く、音楽そのものに「感動」したのだが、こうも思った。

音楽に「感動」するとは何なのだろう、と。

 

 

ということで、今回の「レコード評議会」はこの盤にしようと思う。

 

 

Mahler

Symphony N° 2 In C Minor "Resurrection"

Otto Klemperer

The Philharmonia Orchestra

UK盤(1965年 (1963年初発) )モノラル

Columbia

33CX 1829 / 1830

SideA:XAX 2320-1N  R  1

SideB:XAX 2321-3N  R  2

SideC:XAX 2322-10N  P  1

SideD:XAX 2323-4N  O  1


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マーラー

交響曲第2番 ハ短調「復活」

オットー・クレンペラー指揮

フィルハーモニア管弦楽団

 

自分で採り上げておいて言うのも何だが、どう書いたものか難しい。

 

いきなり本作についてあれこれ書いたところで訳が分からないだろうから、とりあえず、作曲者、楽曲、演奏者などについて簡単に紹介するところから始めよう。

 

作曲者:マーラーについて

グスタフ・マーラー(1860年-1911年)は、主にウィーンで活躍した指揮者、作曲家である。

オーストリア帝国に属するボヘミア王国(現在のチェコ)で、 ユダヤ人の家庭に生まれる。後にカトリックに改宗。

ウィーン宮廷歌劇場の芸術監督やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者として活躍。作曲家としては、交響曲と歌曲の分野で作品を残している。

代表作には、交響曲第1番「巨人」、第2番「復活」、第4番「大いなる喜びへの賛歌」、第5番、交響曲「大地の歌」、歌曲集「さすらう若人の歌」、「子供の不思議な角笛」、「亡き子をしのぶ歌」などがある。

その音楽は、宗教音楽、民謡、自然描写など、様々な要素が入り混じっており、崇高でありながら世俗的、哲学的でありながら情緒的、といった相反するものが同時に存在している。


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楽曲:交響曲第2番「復活」について

5楽章から成る交響曲であり、通常80分前後の長大な曲である。葬送行進曲から始まり、過去の回想を経て、終末と復活が描かれている。

最終楽章の大規模な合唱は、1894年に指揮者ハンス・フォン・ビューローの葬儀で耳にして感銘を受けたクロプシュトックの詩「復活(Auferstehung)」の歌詞に基づくものである。

キリスト教における宗教的教義である「最後の審判と救済」を描いたものであると同時に、人間の「苦難と救い」を描いたものでもある、とされている。

 

演奏指揮者:クレンペラーについて

オットー・クレンペラー(1885年-1973年)は、ドイツ出身の指揮者である。

ドイツ帝国の中核国家プロイセン王国のブレスラウ(現在のポーランド・ヴロツワフ)で、ユダヤ人の家庭に生まれる。後にカトリックに改宗。

22歳でマーラーの推挙を受けて指揮者としてのキャリアをスタートするが、1933年ナチス政権樹立に伴い、アメリカに亡命。

ロサンジェルスなどで活躍するが、1939年に脳腫瘍で倒れ、元来患っていた躁鬱病も悪化。この頃より奇行が目立つようになる。

第二次世界大戦後にヨーロッパに帰還。EMIのプロデューサーであるウォルター・レッグに見出され、1954年(69歳)からフィルハーモニア管弦楽団と録音を開始。1959年、同管弦楽団初の常任指揮者に就任。EMIで多くのレコードを制作、巨匠として世界的な名声を得る。

主要なレパートリーは、モーツァルト、 ベートーヴェン、 ブラームス、ワーグナー、 マーラーなど、ドイツ・オーストリア系の古典派〜ロマン派の作品である。

彼の演奏は、感情表現が抑制された、時に極端な遅いテンポで、一般的に「厳格」「重厚」と評される。感情移入すること無く、楽譜に書かれた音楽の構造を客観的に捉えてそのまま提示したかの様な演奏、という言い方も出来るかも知れない。音楽評論家の許光俊氏は「まるでベルトコンベアーの上に品物が乗って流れるような」演奏と評している。


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演奏オーケストラ:フィルハーモニア管弦楽団について

1945年、EMIのプロデューサーであるウォルター・レッグによって、当初レコード制作を主目的に創設されたオーケストラ。現在では「録音の多いオーケストラ」として知られ、世界的な名門オーケストラの一つである。

当初は常任指揮者を置かずに有名な指揮者を招いての公演や録音を行うという形態で、フルトヴェングラー、カラヤン、クレンペラーらがタクトを振っている。

フルトヴェングラーの死去(1954年)、カラヤンのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者への就任(1955年)を契機に客演中心の体制から次第に変化し、1959年、クレンペラーが初の常任指揮者に就任。

1963年、クラシック部門の予算削減を進めるEMIと対立していたウォルター・レッグが同社を退職。翌1964年、レッグは資金難を理由にオーケストラに解散を通告。これに対し団員は全員一致で反対を決議、自主運営によるニュー・フィルハーモニア管弦楽団として再出発する。

1977年、フィルハーモニア管弦楽団の名称を回復、現在に至る。

 

本アルバムの制作ついて

1961年11月(22日、23日、24日)、1962年3月(15日、24日)、ロンドンのキングスウェイ・ホールで録音。

1963年にColumbiaからリリースされる。

なお、ここで言うColumbiaとはEMI傘下のレーベルである英Columbia(Columbia Graphophone Company)のこと。米Columbia(Columbia Records)とは同根だが、別会社である。

 

 

さて、以上を踏まえて本アルバムを説明するとなると、

"ユダヤ人の家庭に生まれ、カトリックに改宗した経歴を持つ"マーラーが作曲した、

"キリスト教における宗教的教義である「最後の審判と救済」、人間の「苦難と救い」を描いた"交響曲を、

"マーラーの推挙で世に出る契機を掴んだ、同じくユダヤ人の家庭に生まれ、カトリックに改宗した経歴を持つ"クレンペラーが指揮し、

"本作リリースの1年後に解散の危機からニュー・フィルハーモニア管弦楽団として再出発を図ることになる"フィルハーモニア管弦楽団が演奏した作品

ということになる。

 

こう見てみると、どれほどまでに劇的・ドラマチックで、情念が渦巻く様な演奏が展開されているアルバムなのか?と思えてしまう。

 

そもそもこの曲は劇的・ドラマチックな演奏が多い。その曲の内容ゆえに、心を揺さぶる様な素晴らしい演奏は劇的・ドラマチックな演奏になるのである。

 

では、本アルバムの演奏、実際はどうなのか?

 

クレンペラーと言えば「厳格」「重厚」と評されるが、正にその通りの演奏である。「荘厳」な演奏と言うことも出来るだろう。

だが、その演奏に劇的・ドラマチックな要素や渦巻く情念の様なものは感じられない。

 

テンポを大きく揺らすことも無く、やや遅めの落ち着いたテンポで、音が重層的に連なる。

クライマックスの第五楽章、大規模な「復活」の合唱部分においても、感情表現は抑えられ、過度な盛り上がりを見せること無く、ただただ音楽が鳴り響く。

 

他の名演とされる様な劇的・ドラマチックな演奏を期待すると、無愛想で素っ気無い演奏だと感じるだろう。

ドラマ性・物語性を排して、楽譜に書かれた音符やその構造をそのまま音にした演奏… そんな感じなのである。

 

では、つまらない演奏なのか?と言うと、全くその様なことは無い。

 

第五楽章を聴くと、曲が進むにつれて、頭と背中がジーンとしてくる。そして涙が出てくる。

クレンペラーが指揮したこの演奏、このアルバムではそうなる。

何故そうなるのか、自分でも分からない。だが、不思議なことにそうなる。

 

曲の中に「最後の審判と救済」「苦難と救い」といった「復活」のドラマ・物語を感じ、それに感動したというのとは違う。

そこにある音楽そのもの、音そのものへの「感動」なのではないかと思う。自分でもよく分からないが、おそらくそうなのだと思う。

 

美しい讃美歌を聴いたり、美しい宗教画を観たりする時、その内容は分からずとも、ただただ「感動」するというのと同種のものなのかも知れない。

ある意味、宗教体験の様なものなのかも知れない、と思ったりもする。

 

と、なかなか言葉で伝えるには難しいので、ここでやめておくが、そんなことを思わせる演奏である。

 

そんな演奏が収められている本アルバム、クレンペラーのマーラーということで一般的にも名盤と評価されているが、やはり「名盤」と呼ばれるべきものなのだろう。

 

 

ジャケットについても触れておかなければならない。

 

ジャケットに、この絵はコルマール(フランス北東部アルザス地方の都市)にあるウンターリンデン美術館の、画家グリューネヴァルトによる「イーゼンハイム祭壇画」の一部分である、と書かれている。


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この「イーゼンハイム祭壇画」は、ドイツ・ルネサンス期の彫刻家ニコラウス・ハーゲナウアーと画家マティアス・グリューネヴァルトが1512年から1516年に制作した全3面からなる祭壇画で、イエス・キリストの誕生から受難、復活、昇天に至る場面などが描かれている。

特に、十字架上のイエス・キリストは、西洋美術におけるこの場面で最も痛々しい表現と言われており、その苦難が際立っている。

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その様な祭壇画の第2面に描かれた「天使たちの合奏」の一部分、聖母マリアの姿(「救済・救い」の象徴)を切り取ってジャケットにしているのである。

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「イーゼンハイム祭壇画」を知っている人(キリスト教徒にとっては当然に知っているものなのかも知れない)には、「復活」というこの交響曲のアルバムに相応しいジャケットだ、と分かる様な仕掛けになっているのだろう。

 

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最後にこの盤について書いておこう。

 

このアルバムはモノラルとステレオでリリースされており、1963年が初盤である。

手元にあるこの盤はモノラルで、Discogsによるとレーベルのデザインから1965年の盤である。

 

デッドワックスにはこの様な刻印がなされている。

なお、先に述べた通り、ColumbiaとはEMI傘下のレーベルであり、EMI / GRAMOPHONEコードに基づいている。

SideA:XAX 2320-1N  R  1

SideB:XAX 2321-3N  R  2

SideC:XAX 2322-10N  P  1

SideD:XAX 2323-4N  O  1

 

マトリクス・ナンバーの枝番は、A面1番、B面3番、C面10番、D面4番となっており、A面以外は随分とリカットが行われた様に見える。

だが、全くの推測ではあるが、これは全て"初回マト"ではないかと思う。

 

この頃のEMIのクラシックのレコードでは、初盤からマトリクス・ナンバーの枝番が進んでいることが多い。クラシックはロックなどと違って音量差が大きく、1回目のカッティングから迫力がありつつ、歪みの無い様にするのが難しいのだろう。

特にこの曲は音量差がかなり大きく(小さい音は消え入る様に小さく、大きい音は凄まじく大きい)、なかなか上手くカッティング出来ずに何度も行われたのではないか?と思うのだ。

 

いずれにせよ、この曲をレコードに収める難しさを物語るマトリクスである。

 

次にマザー/スタンパーを見てみると、A面1/R(2番)、B面2/R(2番)、C面1/P(6番)、D面1/O(5番)と、かなりの"初期盤"である。

1963年の初盤では無く、1965年の盤にも関わらず、かなりの"初期盤"なのである。

 

ロックなどに比べて圧倒的に販売枚数が少ないため、クラシックではよくあることである。初盤から何年も経ってから発売された廉価盤シリーズでもマザー/スタンパーが"初期盤"であることも珍しく無い。

 

1963年と言えば、ビートルズの1stアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」が発売された年だが、ビートルズでこれほどまでの"初期盤"であれば、その価値は凄いことになる。

 

レコード界における販売規模の違い、すなわちロックとクラシックの立ち位置の差を如実に示すマザー/スタンパーである。

 

 

以上、長きにわたってあれこれ書いてきたが、最後の最後にもう一つ、クレンペラーに関するエピソードを添えて締めとしたい。

 

ルーベルト・シェトレ著、喜多尾道冬訳の書籍「指揮台の神々/世紀の大指揮者列伝」によると、クレンペラーはステレオ録音について「イカサマ師の発明 (an invention of charlatans)」と呼んで毛嫌いしていたそうである。

 

そんなクレンペラーの頑固な姿勢、嫌いでは無い。